ジャニー喜多川さんの性加害を受けたと告発した木村伸一さん。週刊文春で「7人目のV6」と紹介され、注目を集めています。
7人目のV6こと木村伸一さんとは一体どんな人物だったのでしょうか?調べてみました。
7人目のV6木村伸一経歴「元関西ジュニアで現在は柔道整復師」
週刊文春で7人目のV6として紹介された木村伸一さん。この記事には、木村伸一さんの経歴やプロフィールについても書かれています。
また、SNS上でも、木村伸一さんの経歴に関して投稿が行われていました。
最終候補者に選ばれたが、実際は1995年1月からジャニーズ事務所に入所しており、既に「関西ジャニーズJr」のメンバーとして雑誌にも登場していた。高校を中退していた木村は、入所直後に上京して一人暮らしを開始。とんかつ店でアルバイトをし、1995年4月から専門学校に通いながら、ジャニーズのダンスレッスンを受けていた。そして、テレビのオンエアではまだオーディションが途中段階だったにもかかわらず、1995年6月発売の雑誌「Myojo」(同年8月号)にて、「第2回 ジャニーズ予備校の合格者」として早くも掲載されていた。
木村は当時、岡田准一と共に「V6」のメンバー候補にされており、ジャニーズ予備校で合格したことにして、話題性を作ってデビューさせられる予定であったが、何らかの事情で解雇され、既にジャニーズJrとして活動していたにもかかわらず、番組の最終審査にて「不合格扱い」にさせられた。
その後、「有限会社ZONE」へ移籍し、「鮎川真一」に改名。1996年の「第9回ジュノン。スーパーボーイ・コテンスト」にも「鮎川真一」名義でノミネートされた。更にその後、「木村圭介」に改名。しかし目立つ活動は何も無いままで引退した。
週刊文春の記事、そして、SNSに投稿された木村伸一さんの経歴をまとめると、このようになります。
- 生年月日:1977年12月8日
- 出身地:大阪府
- 血液型:A型
- 身長:172㎝
- 体重:51㎏
- 特技:器械体操
- 好きな芸能人:広末涼子
- 1995年1月8日に大坂でジャニー喜多川さんと出会い、「ユーは絶対スターになれるから。秋くらいにデビューさせたい」と言われる
- 1995年1月事務所に入所
- 既にジャニーズJrのメンバーとして雑誌にも登場していた
- 入所直後に上京。1995年4月から専門学校に通いながら、とんかつ屋でバイトし、ジャニーズのダンスレッスンを受ける
- 1995年5月~9月に放送された公開オーディション・元気ジャニーズ予備校に出演
- 1995年6月には雑誌・Myojoにて第2回公開オーディション合格者として紹介されている
- この時、第1回公開オーディション合格者の、岡田准一と共にV6のメンバー候補になっていた
- 性加害を受けた後、大阪に一度帰るとV6加入の話が消えていた
- 公開オーディション出演時、ファンよりジュニアとして活動していた事が指摘。ヤラセと批判される
- 雑誌・Myojoで合格と発表されていたにもかかわらず、公開オーディションは不合格
- 1995年9月、公開オーディション終了とともに、ジャニーズを退社。何らかの理由で解雇
- 退社後は鮎川真一に改名し、有限会社ZONEへ移籍
- 1996年に開催の第9回ジュノン。スーパーボーイ・コテンストに出演
- その後、木村圭介に改名。ピンク映画に出演
- 21歳で芸能界引退
- その後、美容師として働いていたが、退職
- 現在は柔道整復師として活躍している
木村伸一さんの経歴について、より詳しく見ていきましょう。
木村伸一は7人目のV6
文春によると、木村伸一さんがジャニー喜多川さんと出会ったのが1995年1月。この時、「ユーは絶対スターになれるから。秋くらいにデビューさせたい」と言われたそうです。
そして、このデビューはV6のメンバーとして行われる予定であり、ジャニー喜多川さんからは「バレーボール出来る?」と確認もされています。
V6がデビューした時期も1995年。この年の11月、日本でバレーボールワールドカップが開催され、大会のイメージキャラクターとして、V6が結成されました。
ジャニー喜多川さんの「バレーボール出来る?」という確認は、バレーボールワールドカップのイメージキャラクターという面を考えての確認と見て、間違いないでしょう。
ジャニー喜多川さんからデビューの口約束を受けた木村伸一さんですが、その後、ジャニー喜多川さんの性加害をうけることになります。
- ジャニー喜多川さんの膝の上に乗せられ、頭をなでながら仕事の話をした
- 木村伸一さんが熱を出したとき、おでこに唇を当てて、体温測定をされた
- お風呂に入らされて、後ろから抱きかかえるようにして体を全部洗われた
- 雑誌・Myojoの撮影日夜、ジャニー喜多川さんに下半身を舐められる
- 翌朝枕元に2万円が置かれていた
- V6加入が伝えられた翌日の夜、再び性加害があり、お尻に異物が入るような激痛に襲われた
- 次の5万円を貰った
V6加入が約束された直後に行われた性加害。この時、木村伸一はあまりの激痛に飛び起き、ベットから転げ落ちた事が伝えられています。
また、木村伸一さんの口から、ジャニー喜多川さん性加害を拒否した事が語られています。
「なんでジャニーさんの行為に耐えることができなかったのか。あのままお尻が痛くても、やるべきだったと自分を責める気持ちになったんです。拒んだから、こんな人生しかないんだと」
引用元:文春オンライン
そして、ジャニー喜多川さんの性加害後に、一度大阪に戻ると、木村伸一さんのV6入りが白紙となっていました。
木村伸一は元気ジャニーズ予備校に参加
7人目のV6と言われている木村伸一さん。彼が公開オーディションに参加している事が報じられており、その時の動画も残っています。
この公開オーディションは1995年に放送されてた「天才・たけしの元気が出るテレビ ! !」内で放送された「元気ジャニーズ予備校」という企画で行われました。
このオーディションは第1期、第2期が行われ、1期生として合格した岡田准一さんはV6としてデビューする事が決定しました。
木村伸一さんは第2期生としてオーディションに参加し、本来ならV6のメンバーとして合格。岡田准一さんと一緒にデビューが予定されていました。
実際、当時発売されたMyojo8月号には、合格発表が行われる前から、「第2回ジャニーズ予備校の合格者」と紹介されていたと言われています。
ちなみに、元気ジャニーズ予備校の審査員として当時のMyojo編集長も参加していました。合格者として紹介されたMyojo8月号かは不明ですが、木村伸一さんがMyojoに紹介されている記録も残っています。
1995年Myojo
こつぶサン原クン佐野クンときたら喜多見クンでしょと心で思う…
鈴木康哲 国分博 原知宏
古屋暢一 佐野瑞樹 木村伸一
これらの事実から、Myojo編集は予め第2回オーディションの結果を知らされていた可能性は十分にあり得ます。
しかし、第2回公開オーディションで合格したのは市村俊英さんのみ。木村伸一さんは不合格となり、さらに、関西ジャニーズJrだった事もファンから指摘され、ヤラセと言われたそうです。
また、SNSには、当時の状況に関して「何らかの理由で解雇された」とも書かれています。
結果的に、1995年9月、公開オーディション終了と共に、木村伸一さんはジャニーズ事務所を退所。この時の出来事に関して、木村伸一さんは人間不信になったと語っていました。
現在は柔道整復師として働く木村氏。ジャニーズ事務所での経験で人間不信に陥ったという。
引用元:文春オンライン
木村伸一は退社後に鮎川真一に改名
ジャニーズ事務所を退所した木村伸一さん。その後、鮎川真一に名前を変更し、第9回ジュノン。スーパーボーイ・コテンストに出演しています。
しかし、残念ながら賞を受賞する事は出来なかったようです。
- グランプリ:松尾政寿
- 準グランプリ:松尾敏伸
- フォトジェニック:野田一平
- 審査員特別賞:渡辺和洋
木村伸一は木村圭介名義でピンク映画出演
ジュノンボーイコンテスト後、た木村伸一さんは木村圭介に改名し活動しています。この時は、ピンク映画に出演していた事が、本人の口から語られていました。
調べてみると、「木村圭介」という人物が出演していたピンク映画が確かにありました。
この映画について調べてみると、1998年2月にビデオが発売されている事も分かっています。
木村伸一さんが芸能界を引退したのは21歳の時。1977年生まれである事を考えると、1998年の事です。時期や芸名が一致している事から、木村伸一さんがこの映画に出演していた可能性は、非常に高いでしょう。
木村伸一は現在、柔道整復師として活躍
現在は柔道整復師として活躍している木村伸一さん。彼が勤めている店舗も既に特定されており、きむら整骨という大阪にあるお店と言われています。
- 店名:きむら整骨院
- 住所:〒565-0842 大阪府吹田市千里山東1丁目17-29
- 電話番号:06-6310-5600
- ホームページ:https://kimuraseikotsu.com/
- 平日:8:30〜12:00 / 16:00〜21:00
- 土曜:9:00〜14:00
お店のHPを見てみると、木村伸一さんの顔写真が掲載されており、また、自己紹介文も書かれていました。
引用:きむら整骨院
千里山に開業し地域のみなさまに支えられおかげさまで13年が経ちました。当院では腰痛治療に特化し、日々努力して施術を行っております。患者様が安心してお越しいただける整骨院を目指し、日々努力して治療に取り組んで参りますので、まずは気になる症状がございましたら、何でもお気軽にご相談ください。当院は阪急千里線千里山駅、関大前駅からそれぞれ徒歩6分となってます。駐車場は、近くのコインパーキングで駐車券をお渡ししておりますので、お車でもご来院して頂けます。
院長 木村 伸一
この紹介分以外にも、木村伸一さんの経歴やプロフィールも紹介されていました。
引用:きむら整骨院
はじめまして。きむら整骨院院長の木村伸一と申します。自己紹介と私が整骨院を開いたきっかけ、そして私の想いをお伝えさせてください。
小学生の頃は器械体操をしていて、大会で上位入賞が当たり前の選手でしたが、バブル経済崩壊と共に家も破産し、体操も辞めてしまいました。中学では新聞配達、高校でも空いてる時間は全て働いて、歳を誤魔化して朝方まで働いたりもしてました。そんな仕事ざんまいな高校生活をしていて、自律神経をやられ酷い倦怠感、食欲不振、急激な体重減少、怒りっぽくなったりと情緒不安定になってました。
そんな時私の唯一の師匠との出会いがありました。師匠は全国で治療家や整形外科の先生などに向けて年間60回の講演や講義をし、難病の方の治療に精力的な方でした。その先生の治療のおかげでどんどん良くなり、次第にその治療に魅せられて治療家の道を目指すきっかけを作ってくれました。師匠はどん底の生活の中の私たち家族のため父に仕事を与えてくださり、その中で東洋医学というものを教えて貰い、父と共に私も講習などに毎回参加させてもらうようになりました。しかしその頃の整骨院業界は専門学校に入る為にはコネや多額の寄付金の金銭的な問題で学校にすら入ることが出来なく1度は断念し、その頃からずっとスカウトをされていたのもあり、某大手事務所に所属し、テレビやCMやドラマなどのお仕事をしていました。しかし順調に思えた仕事に暗雲。大きな舞台で大役を頂き練習に励んでたところ、急に喘息を発症してしまい、声を出す度発作が起きる為ドクターストップがかかりあえなく降板。そのまま引退しました。
その後テレビの仕事でご一緒したスタイリストさんの縁で美容師を目指し、26歳の頃にはスタイリストとして店長も任せられていました。しかしここでも美容師になって7年目で喘息が再発し、パーマの薬液などによるアレルギーなどで、病院通いするも改善なく、再び師匠に治療をして貰いみるみる良くなっていきました。
そこでもう一度この道に進みたいと思うようになり、美容師を辞め師匠の元で修行させてもらうことになりました。治療の技術を学び講義のお手伝いをし、自ら講義もするようになり、そこで行き着いた答えがあります。どんな痛みや症状も原因が有り、筋肉、臓器、神経、性格なども大きく起因してきます。
私も経験した自律神経の症状もその時の精神状態で悪くなり、腰や肩の痛みにも波及してきます。マッサージなどで気持ちよくなるのも精神的なリラックス効果は有りますが、それ以外の原因を追求して根本改善をしないといけないと思っております。
どこに行ってもなかなか改善しない痛みを抱えてる方を1人でも多く無くし、明るく楽しい人生を歩んで頂きたいと願ってます。
そんな悩みを解決出来ればとの想いで平成22年に千里山に開業致しました。
今では延べ7万人の患者様を施術をさせて頂き、多くのプロスポーツ選手、学生スポーツ選手など施術させて頂き、数多くの治療法を学び臨床も経て今の治療法を確立しました。これからもより良い技術を学び研究していき、多くの笑顔に変えていければと思っております。
この紹介文には
- 小学生の時、器械体操をしていた
- バブルの崩壊とともに、家が倒産
- 中学、高校時代は仕事ばかりしていた
- 某大手事務所に所属していた
- テレビやCMやドラマの仕事をしていた
- 喘息を発症し、ドクターストップで引退した
- その後、美容師をしており、26歳では店長も任されていた
- しかし、パーマの薬液などでアレルギーを起こし、喘息を再発
- その後、柔道整復師として活躍するようになった
という事が書かれています。
器械体操を行っていた事や大手事務所に所属していた事など、木村信一さんの経歴と繋がる部分が確かにあり、木村信一さんのお店と見て、ほぼ間違いないでしょう。
木村信一の脱退理由「性加害に耐えられなかった」
7人目のV6と呼ばれながら、デビューを消された木村信一さん。理由はジャニー喜多川さんから性加害を拒否した事にあるとみて、間違いないです。
木村信一さんはジャニー喜多川さんと出会い、その直後から性加害を受けています。しかし、その性加害を拒否していた事は、週刊文春の記事から分かっています。
「なんでジャニーさんの行為に耐えることができなかったのか。あのままお尻が痛くても、やるべきだったと自分を責める気持ちになったんです。拒んだから、こんな人生しかないんだと」
引用元:文春オンライン
本来なら、第2回公開オーディションに合格し、岡田准一さんと一緒にV6に加入するはずだった木村信一さん。
しかし、この直後、V6への加入は白紙に戻され、さらに、公開オーディションも不合格扱い。ジャニーズJrであった事がファンにバレ、ヤラセ疑惑までかけられています。
この扱いから、木村信一さんはジャニーズを退所した可能性は非常に高いです。「何らかの事情で解雇された」という噂も、ジャニー喜多川さんの性加害を拒否した為と見る事さえ出来ます。
ちなみに、ジャニー喜多川さんが気に入るジャニーズメンバーには共通点があり、低身長である男性が好みだと言われています。
木村伸一さんがジャニーズ事務所所属時の身長は172㎝であり、低身長ではありませんが、決して身長が高い訳でもありません。
実際に、平野紫耀さんや松本潤さん、亀梨和也さんなどは、同じくらいの身長ですが、ジャニー喜多川さんのお気に入りと言われています。
- 平野紫耀:171㎝
- 松本潤:173㎝
- 亀梨和也:171㎝
この事から、ジャニー喜多川さんが性的な目で木村伸一さんを見ていた可能性は否定できないでしょう。
木村伸一の同期「豪華な顔ぶれ」
1995年にジャニーズ事務所に所属している木村伸一さん。
同期を調べてみると
- 岡田准一(V6)
- 滝沢秀明
- 櫻井翔(嵐)
- 今井翼
- 屋良朝幸
など、非常に豪華な顔ぶれである事が分かり、ジャニーズ事務所を支え続けた方ばかりです。
本来なら、V6のメンバーとして木村伸一さんもジャニーズ事務所で活躍するはずだったのですが、わずか1年足らずでの退所となっています。
木村信一が性加害告白「ジャニオタからは金目当て扱い」
7人目のV6と紹介された木村信一さん。ジャニー喜多川さん性加害告発に対し、金目的という声も相次いでいます。
えw
もう数ぐちゃぐちゃじゃね?w
あなただぁれ?金の亡者ばっかりでるなw
また、きむら整骨院に書かれた木村信一さんの退所理由が喘息と書かれており、性加害とは結びつかない事から、「告発は嘘なのでは?」と話す人も存在します。
#木村伸一 さん
柔道整復師。
大阪府柔道整復師会に入っている。
喘息やアレルギーで大手事務所(ジャニーズ)辞めたって整骨院のホームページには書いてあるから嘘なら大問題。
抱きかかえるように後ろから体を洗われるって当時 赤ちゃんなん???
ジャニさん160あるかないかのおじいちゃんだよ。
しかし、雑誌・Myojoにて第2回公開オーディション合格者として紹介されていながら、不合格に合い、謎の理由で解雇。
V6への加入も白紙になっている点は、非常に不自然であり、時系列を考えると、ジャニー喜多川さんの性加害が理由だった事は十分に考えられます。
その他、週刊文春に書かれた木村伸一さんのプロフィールにも矛盾点は見られません。
また、PTSDやストレスによって、喘息が発症・悪化する可能性がある事は、多くの医療サイトに記載されています。
週刊文春の記事では、木村信一さんは退所直前にジャニー喜多川さんからの性加害を受けており、さらに、公開オーディションでファンからヤラセ疑惑をかけられ、人間不信に陥っていま。
この事から、当時、木村信一さんが大きなストレスを抱えており、ジャニー喜多川さんからの性加害でPTSDだった事も否定できないでしょう。
その為、退所時に木村信一さんが喘息を発症していたとしても、決して不思議ではありません。
ジャニー喜多川さんの性加害者を特定する事は非常に難しい状況ですが、経歴などから見て、木村信一さんが嘘を言っている可能性は低いと言えるでしょう。
法務省少年たちポスターはジャニー喜多川からの警告「告発しても無駄」
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